1979年01月
1979年01月01日
野宮真貴さんのサイン
■CDアルバム『OVERDOSE』

■野宮真貴著『スター・ストラック~スタアのひとりごと 』

■野宮真貴著『おしゃれ手帖―Cahier de la Mode』

■小西康陽さんと野宮真貴さんの生写真

■12インチ record『プレイボーイ プレイガール the international playboy & playgirl record』

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ピチカートファイヴ年表
■第一期
1979年 青山学院大学の音楽サークル”ベター・デイズ”にて小西康陽と高浪敬太郎が出会う。
その後、小西康陽と高浪敬太郎が意気投合し、
同じサークルにいた鴨宮諒を誘って、ヴォーカリストを捜し始める。
1984年 1984年のクリスマス・イヴに佐々木麻美子をヴォーカリストにすることを決める。
小西の高校時代からの知り合いである元はちみつぱいの和田博己が
細野晴臣のマネージャーとなり、細野を小西の部屋に連れてくる。
これをきっかけにノンスタンダードからピチカートファイヴはデビューすることが決まる。
1985年 4月 渋谷ライブインでデビューライヴ。共演はボイス、カーネイション。
4月、5月にラママ、クロコダイルでライヴ。
6月 『オードリィ・ヘップバーン・コンプレックス』のレコーディングにかかる。
イベント「All Togerther Now」に、再結成されたはっぴぃえんどのバックコーラスとして参加。
8月 『オードリィ・ヘップバーン・コンプレックス』でデビュー。
六本木インクスティックでライヴ。
9月 『イン・アクション』のレコーディング。
10月 大阪近鉄劇場でノンスタンダードのアーティスト総出演のライヴ。
共演はミカド、アーバン・ダンス、ワールドスタンダード、Shi-shonen。
12月 ノンスタンダードのコンピレーション『THE BEST OF NON STANDARD』に
「What's new,Pizzicatofive?」を収録。
東武デパートのクリスマス・キャンペーンのソノシート
「パーティ!パーティ!ゴー!ゴー!ゴー!」を配布。
渋谷パルコ・スペースパート3でライヴ。共演はブルートニック。
1986年 1月 『イン・アクション』発売。このレコードより
コンテムポラリー・プロダクションの信藤三雄とのコラボレーションが始まる。
4月 NHK-FM"ポップ&ロック・デイ"のジングルを制作。
10月 CBSソニーに移籍。
クリスマス・アルバム『ウインター・ラウンジ』へ参加。
12月 大阪でライヴ。タイトルは"Watch those December's children"。
共演はアーバン・ダンス。
1987年 4月 1stアルバム『カップルズ』発売。
7月 ノンスタンダード時代の曲を集めたCD『ピチカートマニア!』発売。
フジテレビ系ドラマ「キスより簡単」「おひまなら来てよね!」(ディレクター:河毛俊作)の音楽を担当する。
12月 芝浦インクスティックでライヴ。タイトルは”メリー・ピチカート!”。
■第二期 (田島貴男がヴォーカリストになってから)
1988年 4月 佐々木麻実子、鴨宮諒が脱退し、新しいヴォーカリストとして田島貴男が参加。
9月 2ndアルバム『ベリッシマ』発売。
秋から冬にかけて、渋谷クラブ・クアトロ、MZA有明、六本木インクスティックなどでライヴ。
フジテレビ系ドラマ「抱きしめたい」(ディレクター:河毛俊作)の音楽を手がける。
1989年 2月 芝浦インクスティックでライヴ。共演:オリジナル・ラヴ(田島貴男)が両方に出演。
2月より『女王陛下のピチカート・ファイヴ』のレコーディングが始まる。
その収録曲、「衛星中継」で野宮真貴初参加。
7月 3rdアルバム『女王陛下のピチカート・ファイヴ』発売。
7月より全国11ヶ所でライヴ。早稲田大学、学習院大学の学園祭にも出演。
12月 恵比寿ファクトリーでクリスマス・ライヴ。
12月31日 MZA有明の大晦日イベントに出演。共演:ビギン、フェアチャイルド、高野寛、くじら他。
1990年 1月 『月面軟着陸』のレコーディングが始まる。
4月 恵比寿ファクトリー”S-kenのカメレオン・ナイト”に出演。
5月 4thアルバム『月面軟着陸』発売。
6月 草月ホールでライヴ。これを最後に田島貴男が脱退。自らのバンド、オリジナル・ラヴに専念する。
■第三期 (野宮真貴がヴォーカリストになってから)
6月 1stシングル『ラヴァーズ・ロック』発売。このシングルより野宮真貴が三代目ヴォーカリストとして参加する。
10月 日本コロムビア/トライアドに移籍。
12月 野宮真貴をヴォーカリストに迎えての初ライヴを鈴江のインクスティックで行う。
1991年 5月より”5×5”と題して、異例の5ヶ月連続リリースを行う。
発売されたレコード群は、『学校へ行こう!』サントラ、
『最新型のピチカート・ファイヴ』『超音速のピチカート・ファイヴ』
『レディメイドのピチカート・ファイヴ』といったミニ・アルバム、
そして5thアルバム『女性上位時代』発売。
7月、そして9月と2度の東名阪ツアーを行う。
11月 ビデオ『動く女性上位時代』を発売。
12月 三度目の東名阪ツアー。東京は日本青年館。
1992年 6月 NYのニュー・ミュージック・セミナーに初参加。
7月 ライヴビデオ『ミス・ピチカート・スーパースター』発売。
9月 6thアルバム『スウィート・ピチカート・ファイヴ』発売。
10月 アナログ2枚組『ピチカート・フリー・ソウル』発売。クラブ・イヴェントやDJイヴェントも積極的に行う。
12月 中野サンプラザでライヴ。その模様はライヴ・レコーディングされる。
1993年 3月 初のライヴ盤『インスタント・リプレイ』発売。
4月 2ndシングル『スウィート・ソウル・レビュー』が発売、カネボウの夏のキャンペーン・ソングに採用され、ヒットとなる。
4月 渋谷オンエアでライヴ。
5月 日比谷野音で行われたトライアドのイヴェント「マジック・ガーデン」に出演。
広島ウイズ・ワンダーランドのCMに出演。
6月 小山田圭吾を共同プロデューサーに迎えた7thアルバム『ボサ・ノヴァ2001』を発売。10万枚を超えるヒットとなる。
7月 特殊パッケージの限定版『スーヴニール 2001』を発売。
渋谷オンエアでライヴ。また2度目のNYニューミュージック・セミナーに参加。大好評を得て、海外のレーベルとの契約の話が本格化する。
10月31日、11月1日 中野サンプラザの2DAYSライヴを行う。
11月 リミックス盤『EXPO 2001』を発売。
またアナログ2枚組『フリー・ソウル2001』も発売。
12月 フジテレビ「ウゴウゴルーガ2号」のオープニング・ソング「東京は夜の七時」発売。
1994年 1月、2月 フジテレビ「ウゴウゴルーガ2号」に出演。
2月 『ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ』を発売。
4月 シングル「ハッピー・サッド」を発売。
7月 東京テレメッセージのCMソングを制作。
シングル「スーパースター」とビデオクリップ集「ready made TV volume one」を発売。
3度目のNYのニュー・ミュージック・セミナーに参加。
ビデオとジャケットの撮影も行い、プロモーションのためLAにも訪れる。
8月 高浪敬太郎が脱退する。
アメリカのマタドール・レコードより『5×5』が発売される。
10月 8thアルバム『overdose』を発売。
「陽の当たる大通り」をシングルカットならびにシングルビデオとして発売する。
ヨーロッパのファッション・ブランド”SISLEY”の広告(TV-CMと雑誌広告)に出演(1995年2月よりヨーロッパを中心に出稿)。
マタドールより『MADE IN USA』が発売される。20万枚を超えるヒットとなる。
1995年 2月よりアメリカ10都市、ヨーロッパ4都市でワールド・ツアーを行う
3月 ベストアルバム『PIZZICATO FIVE TYO』を発売。
9月 9thアルバム『ROMANTIQUE 96』発売。
10月 世界向けアルバム『the sound of music』発売。
11月 CBS/SONY時代のベスト盤『antique 96』発売。
『カップルズ』、『ベリッシマ』、『女王陛下のピチカート・ファイヴ』、『月面軟着陸』
新ジャケ・リマスタリングで再発
12月 コロムビアより「アナログ・ポータブル・プレイヤー ピチカート・ファイヴ・モデル」を限定発売し、予約完売。
1996年 3月 メンバーが日産ミストラルのTV-CFに出演。
タイアップ曲『ベイビィ・ポータブル・ロック』を発売。
6月 ミニアルバム『宇宙組曲 combinaison SPACIALE ep』、『フリーダムのピチカート・ファイヴ sister FREEDOM tapes』発売。
10月 レアトラック集『グレイト・ホワイト・ワンダー』を発売。
12月 NHKみんなのうたに採用された『メッセージ・ソング』を発売
1997年 新レーベル*********(readymade) records,tokyoを発足。
3月 『イッツ・ア・ビューティフル・デイ』を発売。
6月 10thアルバム『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』を発売。
9月 『HAPPY END OF THE WORLD』を全世界で発売。
アメリカ14都市でのツアーを実施。
10月 市川崑が1961年に監督した映画『黒い十人の女』をリ・プレゼンツ。
それを記念したマキシ・シングル『PORNO 3003 ep』を発売。
12月 ベストアルバム『PIZZICATO FIVE JPN』を発売。
1998年 1月 筒美京平氏作曲によるシングル『恋のルール・新しいルール』を発売。
ビデオクリップ集『rearymade TV volume two』を発売。
4月 今までライヴを行ったことのない地方都市を中心に全国11都市でライブを開催。
6月 チューリッヒ、パリ、デンマーでライヴを行う。
10月 11thアルバム『プレイボーイ プレイガール』を発売。
11月 福岡より全国10都市ツアー。
1999年 11月 12thアルバム『PIZZICATO FIVE』を発売。
2000年 9月 20thシングル『東京の合唱 voyage À tokyo ep』を発売。
11月 21thシングル『12月24日 24 Decembre ep』を発売。
2001年 1月 13thアルバム『さ・え・ら ジャポン』を発売。
3月31日渋谷ON AIR EASTにてオールナイトイベントを行い、このイベントを最後に解散。
2001年 3月 解散1周年を記念したトリビュート・アルバム『戦争に反対する唯一の手段は。 ─ピチカート・ファイヴのうたとことば─』 を発売。
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Pizzicatofiveのサイン
■CDシングル『東京は夜の七時』

※誰が書いたのか不明なもの。
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